週刊ミネ

広告業界の片隅で働く映像・Webプロデューサー/ディレクターのブログ。

「見守る」という言葉の残酷さ

「見守る」という言葉を、普段の日常生活や仕事、ニュースなどで頻繁に見かける。

 

例えば「早稲田実業の清宮くんが、どう成長するか見守って行きたい」などという言葉である。

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そんな些細な「見守る」というという言葉について、私はよく考える。

 

「見守る」という言葉を人に使う時、基本的には「自分より弱者」に使う場合が多い。例えば、我々が自分たちの子供に対して使う時だ。

 

自分の子供に対して見守るという言葉を使う場合、「見る」という言葉よりは勿論のこと「守る」という言葉が強くなる。

 

子供をじっくり注視しながら、間違った方向に行きそうであればそれを正し、良き方向に成長させようと導こうとするものだ。

身内にこの言葉を使う時には、守るための行動も伴うものなのである。

 

一方、身内でない他者に対して使う場合、「守る」という言葉が極めて希薄になり「見る」という言葉が強くなる。

 

他者から「見守る」という言葉を聞いた時、一聴すると暖かく優しい言葉に聞こえるかもしれない。

 

しかし、「弱者である他人」が間違った方向に行きそうな場合、関心があっても「正そう」「助けよう」「成長させよう」という具体的な行動が伴わないという、言葉に秘められた残酷さを感じるのだ。

 

テレビなどのニュースメディアが、「見守る」という優しそうな言葉の裏で、いかに多くの人たちをネタとして見殺しにしてきたことか。それがある意味象徴しているだろう。

 

正しい方向への具体的な行動をせず、自分にとって都合が良ければ関わろうとし、都合が悪ければ悪ければ「見捨てる」に簡単に変化する。

 

「見守る」という言葉は実は簡単には使えないはずではないだろうか?何故なら、それなりの負担と責任を負うものだと思うからだ。

 

だから私は簡単には「見守る」という言葉を使わない。

 

ちなみに、このような考えに至ったのは何故かというと、昔テレビの仕事をしていた時、ご都合主義の残酷な上の人達に接することも多かったからである。

 

もっとも、今まで積み上げてきたものが多ければ多いほど、それを守るために簡単に負担やリスクは負えないというのも分かるのであるが。

 

少なくても「優しそうな残酷な男」でいるより、「冷たそうだけど実は優しい男」でありたいと思っている。なかなか理解されづらいのではあるのだが。。

母が亡くなって15年がたつ

母が亡くなって今日で15年が経つ。

毎年、この日は欠かさず墓参りをしている。今年も妻と子供たちを連れてやって来た。

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私がお盆に必ず休みをとり、実家に帰る理由はここにある。

孫たちに囲まれ、母もきっと笑顔で迎えてくれているだろう。

ガン見

私には目を見開く癖がある。いわゆるガン見癖だ。

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ただでさえ目がデカイ方なのに、目を大きく見開く表情は、ギョロッとしていて自分で鏡を見てもちょっと怖い。。恐らくであるが、この癖がついたのは大学時代だ。

 

音楽が好きだった私は、学生時代、厚木のジャズバーでアルバイトをしていた。夜8時から朝の4時までの夜型のアルバイトである。

 

その時のバーの社員で杉山さんという方がいた。イケメンで口も上手く、いつもゲラゲラ笑っているとても面白く尊敬できる人だった。

 

もちろん、女性客からの人気は抜群で、色んな武勇伝があった。(その内容はここには書けないが。)

杉山さんがいたおかげで、私のバイト生活はとても楽しいものになった。遊んだという意味ではなく、シンプルにゲラゲラ笑う楽しい時間が多かった。

 

そしてその杉山さんが、人の話をジックリ聞く時、「ん?」という形でよく目を見開く人だったのである。

 

人というのは面白いもので、青信号に変わる前に、前の人が横断歩道を渡ると、自分も釣られて一歩踏み出すように、行動がつられるものだ。

 

杉山さんが目を見開く度に、私も同じように目を見開いていたことはよく覚えている。

 

しかしそれが、私を悩ます癖になるとは思ってもみなかった。。

 

大学を卒業して広告業界で働きはじめてからはじめて指摘されて、ガン見癖が出来上がってしまうことに気づいたのだ。。

 

勿論、どんな時にガン見しているか、自分には自覚がない。これがまた厄介なのである。

 

特にこの夏という季節だ。

 

夏は街に行き交う女性の中で、魅力溢れる胸を堂々とアピールしている服を着ている人も多くいる。

 

目線がそれにつられることは男性だから当然あるのだが、私はそんな時はあえて目をそらし、目を細くするようにしているのだ。

 

しかし、それもまた怪しい負のスパイラルになっているような気もしてならないのだが。。

 

もし、変な所で私がガン見していたら随時ご指摘頂きたい。この癖を直すために。

リポのCMを見て思ったこと

「ピッチャーもバッターも諦めたくない」

このリポビタンDのCMコピーは私に響く。野球ファンだからでも、知り合いがこのCMに携わっているからではない。

理由は簡単。私は大谷のような超一流でもなんでもない凡人だが、「映像もWEBも諦めたくない」という私の考えにマッチするからである。

諦めないことが増えるということは、逆に諦めなければいけないことも当然多くなるということ。

私の場合は安心・安定と休む時間をあきらめた。

実際に、大手マスコミ企業の社員として生きていくチャンスは、20代のころも含め人生でいくつかあった(前職は含めず)その方が世間的にもウケもよいし、安心や安定も手にいれることはできたと思う。

しかし、それと引き換えに“本当にやりたいこと・目指すもの”から遠ざかるのが何よりも嫌だったのだ。(新卒採用の時の失敗が尾を引いたのが原因ともいえるのだが。)

それでは今、
「“本当にやりたいこと”はできているのか?」
「“目指すもの”は実現できているのか?」
と言われると「NO」というのが現実だ。しかし、少なくともそれを目指す自由はある。逆にこれがなくなったら今の会社にいる意味もない。

40歳直前でのチャレンジ。もちろん、そこには色んな反対があった。私の目指すものに対して“無理だ”と思った人も多いと思う。それは当然だ。

結果として目標を実現できるかは分からない。しかし、一生懸命、真摯に向き合いながら、すべてに取り組んできているという自負はある。

一歩一歩、日々を大切にしながら、歩んでいきたいものである。

 

★今週はとにかく忙しく、書きたいことは色々あったのだが、何を書いたらよいか迷ったのでこんなことを書いてみた。

赤坂の魅力

今日は喫茶店で前職の同僚2人とバッタリ邂逅した。

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昔チームが同じ、かつ年齢も同じか1つ上ぐらいなので、近況などを話していてもやはり楽しい。

 

それぞれ仕事の関わり方や立場などは当時と変わってきてはいるものの、こういう同僚たちと一緒に仕事ができてよかったなと思う。

 

ちなみに打ち合わせの前には取引先の喫煙所で昔仕事をご一緒させていただいた人に邂逅し、帰りには昔の制作会社時代の後輩ともバッタリ邂逅。

 

こういう再会が多いのも私にとっての赤坂の魅力である。

 

いっそのこと赤坂にオフィスを構えたい、、

ブログタイトルを変更

ブログタイトルを「Today's Mine」から「週刊ミネ」に変更しました。

 

やはり毎日のブログ更新は、生活にも支障をきたす。そこで毎週必ずという形にしたいと思う。もっとも週一回以上になる可能性も勿論あるのだが。

 

ちなみに「週刊」という言葉だと、何かの雑誌かパートワークのようなタイトルである。しかし勿論、○回ブログを書いたら終わりというものでも、形式が決まったものでも、何かを完成させていく仕掛けを用意するものでもない。

 

強いていうならば、命が尽きたところで、私という人生の作品が完成すると言えるだろう。もっとも私の人生が作品というほど、計算して作られるものでもアートでもないのであるが。

 

ということでこれからは更新頻度を減らして中身を濃くしていきたいと思う。

千葉のひまわり畑

佐倉市の「風車のひまわりガーデン」に行ってきた。

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こんな感じの写真だと満開のような感じだが、実際は3割ぐらい。以下の写真がそれを分かりやすくしたもの。

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来週末が1番見頃かもしれませんね。

 

ちなみにアイドル?撮影会をやっているグループがいました。以前葛西臨海公園に行った時もこんな事をやってたグループがいたのだか、コレは一体何なんだろかか。。?

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佐倉市 風車のひまわりガーデン

住所:佐倉市臼井田2714番