『かがみの弧城』を読んだ
辻村深月の「かがみの弧城」を読んだ。
この小説の主人公たちは不登校になった“中学生”たちだ。それぞれの傷ついた心や孤独とともに、助け合う事や前向きに生きていく事の大切さを描いている。
共働きでである主人公の親がいない時に起きた色々な出来事を読みながら、私の娘は大丈夫だろうか?という思いにもかられる。
何故なら私達夫婦も、いま共働きで働いている。そして娘も小学校4年生になり、妻が仕事から帰るまでは“我々夫婦の知らない時間”を娘は過ごしているからである。
小学校4年生にもなると、少しづつ“親に踏み込んでもらいたくない、子供達だけのコミュニティ”を形成し始める年頃だ。
今は仲がよい友達と一緒に遊び、特に問題は見当たらない。しかし、交換日記もしている最も仲がよい友人と、中学が別々になることがホボ決まっている。
1番の親友と別れる中学生になった時、娘は大丈夫でいられるだろうか?
そのようなことを思いつつ、最後の方まで読み進めていくうちに、目頭が熱くなっていくことを覚えた。
喫茶店で読んでいたため、周囲から悟られないように左手で目を覆い隠し、読み終えたところで店をでた。
夜の街中を、自分がその世界に入り込んだような感覚や脱力感に包まれながら暫く歩いていた。
良い作品を読み終えた時は、このような感覚になる事が多い。
しかし、正直、本作品を読んでこのような感覚になるとは思っていなかった。
40歳を過ぎて、ここでまた新たな発見ができたことを喜びたい。
※ただこの作品は実写での映像化はネタバレしやすいかな。